共通テストの国語(30) 古文──和歌の解釈④
気がつけば、共通テスト前日である。
そんな日でも、粛々と、和歌の解釈を仕上げよう。2021年度(令和3年度)共通テスト国語 第1日程 第3問『栄花物語』、問5である。
設問に関係するX, YおよびZの和歌と、わたくしQ氏によるその現代語訳を再掲する。
X 悲しさをかつは思ひも慰めよ誰もつひにはとまるべき世か
Y 慰むる方しなければ世の中の常なきことも知られざりけり
Z 誰もみなとまるべきにはあらねども後(おく)るるほどはなほぞ悲しき
X わたくし=小弁からあえて申し上げます。あなた=中納言殿が深い悲しみに沈んでおられるのはごもっともですが、一方でこんな風に考えて、悲しさを思い慰めてくださいよ。結局は、誰も、この世にいつまでもとどまっているわけにはいかないのだと。
Y あなた=小弁のお言葉はありがたいのですが、わたくし=中納言には、妻を失った悲しみの心を慰める方法もありませんので、そんな悲嘆にくれたわたくしは、「世の中に永遠ということはない」という当たり前のことも、おのずとは分からなくなっているんですよねえ。ですから、当分この悲しみは癒えそうにもありません。
Z 生きている人は誰も、この世に永遠にとどまるわけではありませんが、その理屈が分かっていたとしても、今の私のように愛しい人に先立たれてしまったときは、やはり悲しいものなのですよ。
さて、これらを踏まえて問5を見てみよう。X・Y・Zの3首の和歌についての説明として適当なものを2つ選べ、という、やや注意が必要な問題である。
正解が「2つ」である場合は、1つは簡単で、もう1つが難しいのが常である。だから「ここは捨てどころだな」と思ったら、難しい1問を犠牲にしても、簡単な方の1問を確実に取るようにする。
今回は1つずつ順に検討してみよう。下線及びそれぞれの選択肢のあとの⇒以降の注釈は、Q氏による。
① 和歌Xは、妻を失った長家の悲しみを深くは理解していない、ありきたりなおくやみの歌であり、「悲しみをきっぱり忘れなさい」と安易に言ってしまっている部分に、その誠意のなさが露呈してしまっている。
⇒確かに小弁の和歌は、悲しみにくれる長家(中納言殿)の心の奥深くに届く言葉かどうかは疑問だが、小弁なりの誠意から出た言葉とも解釈できるのだから、「ありきたりなおくやみ」「安易に」「誠意のなさ」とまで極端に悪く解釈していいのかどうか疑問。また「きっぱり忘れなさい」とまでも言っていない。保留にしてもいいが、たぶんダメな選択肢だろう。
② 和歌Xが、世の中は無常で誰しも永遠に生きることはできないということを詠んでいるのに対して、和歌Zはその内容をあえて肯定することで、妻に先立たれてしまった悲しみをなんとか慰めようとしている。
⇒下線部が和歌Zと一致しない。前半はよいが、この部分で明らかにダメである。Zは「無常のことわりは頭では分かっているけれども、悲しみは癒やしきれない」と言っているのだから。
③ 和歌Xが、誰でもいつかは必ず死ぬ身なのだからと言って長家を慰めようとしているのに対して、和歌Zはひとまず同意を示したうえで、それでも妻を亡くした今は悲しくてならないと訴えている。
⇒正解。ほぼ、ストレートな和歌の解釈を問うている問題である。X, Zの和歌を何とか解釈できれば、この選択肢は選べる。
和歌の問題とは言っても、共通テストはあまり高度な文学的センスを問うことはなく、やはり本文や和歌そのものにきちんと根拠があるかどうかを問うてくる。大まかに現代語訳できれば正解に到達できる場合が多いから、「和歌の壁」を前に絶望せず、知恵を働かせて解釈にエネルギーを注ごう。
④ 和歌Zが、「誰も」「とまるべき」「悲し」など和歌Xと同じ言葉を用いることで、悲しみを癒(い)やしてくれたことへの感謝を表現しているのに対して、和歌Yはそれらを用いないことで、和歌Xの励ましを拒む姿勢を表現している。
⇒下線部がダメだろう。ZがXと同じ言葉を使っているのは確かだが、悲しみを癒やしてくれたことへの感謝ではなく、それでもなお悲しみを癒やしきれないと詠んでいるのである。また和歌Yが「慰む」以外の言葉をXと共有していないのは確かだが、「世の中の常なきこと」という言い換えの表現は見られるし、「励ましを拒む姿勢」とまで言っていいのかどうか疑問である。仮に「励ましを拒む姿勢」が出ているのかどうか判断がつかなかったとしても、前の下線部が明らかに違うから、この選択肢は排除できる。
⑤ 和歌Yは、長家を励まそうとした和歌Xに対して私の心を癒やすことのできる人などいないと反発した歌であり、長家が他人の干渉をわずらわしく思い、亡き妻との思い出の世界に閉じこもってゆくという文脈につながっている。
⇒細部が読み取れない受験生を陥れるためのダミー選択肢である。和歌Yに「反発」がこめられているという点では④の選択肢と同じなので、和歌Yの解釈に自信がない受験生は「そうなのかなあ…反発なのかなあ…」と悩んでしまうだろう。確かに、やんわりと励ましを拒絶しているような気分も読み取れるが、あからさまな反発とまでは言いがたい。そして「亡き妻との思い出の世界に閉じこもってゆく」は和歌の中に根拠がないため、本文のYの和歌以後の部分を参照することになるのだが、確かに長家が亡き妻の思い出に浸っている様子は描かれている。が、妻との思い出の世界に「閉じこもってゆく」までは言い過ぎだろう。次の⑥と比べて、分からない場合は「ワンチャン」でこちらを選んでしまう受験生もいると思う。最悪の場合、これは間違って拾ってしまっても仕方がない選択肢かもしれない。
⑥ 和歌Yは、世の無常のことなど今は考えられないと詠んだ歌だが、そう詠んだことでかえってこの世の無常を意識してしまった長家が、いつかは妻への思いも薄れてゆくのではないかと恐れ、妻を深く追慕してゆく契機となっている。
⇒正解だが、判断しにくいという人が多いだろう。和歌Yの解釈は適切。問題は「そう詠んだことでかえってこの世の無常を意識…薄れてゆくのではないかと恐れ」の部分だが、これは本文に戻って和歌Yの直後を読むと、
かやうに思しのたまはせても、いでや、もののおぼゆるにこそあめれ、まして月ごろ、年頃にもならば、思ひ忘るるやうもやあらんと、われながら心憂く思さる。
下線部は「何か月も何年も経過すれば、(妻のことを)ひょっとしたら忘れてしまうこともあるのではないかと、我ながらおのずとつらくお思いになる。」と解釈できるから、「妻への思いも薄れてゆくのではないかと恐れ」と一致している。
本文の「いでや、もののおぼゆるにこそあめれ」の部分が「意味わかんない」という人が多いだろう。「さあ、とりあえず今は(自分も)何とか意識はしっかりしているようだが」の意味のようだが、最初はちょっと解釈に苦しむ部分だから、ここが分からないために選択肢⑥を選べない受験生は多いだろうと考えられる。巧妙なワナである。
選択肢末尾の「妻を深く追慕してゆく」は本文の最後の部分と一致しているから、問題がない。
本文をきちんと参照して、⑤と⑥で迷った挙句に⑥を選べた受験生は、試験が終わってからさぞかし安堵したことだろう。
さて、そろそろ終わりにしておこう。結局、大切なのは古文においても「本文中の根拠、和歌の中の根拠をしっかり探し、根拠に基づいて解答すること」である。Q氏は時に「フィーリング」が大切だとも言ったが、それは「過度に細かくならず、全体を巨視的に見る自在さが必要だ」と言っているのであって、決して根拠を無視しろという意味ではない。
長らく、共通テスト国語のヒント、漢文以外の部分を大急ぎで述べてきた。これを読んでくれた受験生諸君が、試験会場で少しでも解答に役立ててくれれば、Q氏にとっても本懐である。
では諸君、健闘を祈る!