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共通テストの国語(9) 速く読む方法⑨:日本語を和訳する

2023年4月1日 勉強方法

さて、前回練習に使った、旧センター試験2018年度本試験の国語第1問(現代文・評論)を再び引用する。

 講義とは何か。大きな四角い部屋の空気のふるえである。または教室の前に立った、そしてたまにうろつく教師のモノローグ(注1)である。またはごくたまには、目前の問題解決のヒントとなる知恵である。講義の語りの部分にだけ注目してみても、以上のような多様な捉え方が可能である。世界は多義的でその意味と価値はたくさんの解釈に開かれている。世界の意味と価値は一意に定まらない。A 講義というような、学生には日常的なものでさえ、素朴に不変な実在とは言いにくい。考えごとをしているものにとっては空気のふるえにすぎず、また誰かにとっては暗記の対象となるだろう。

(有元典文・岡部大介『デザインド・リアリティ──集合的達成の心理学』より)

この文章を、最初から「文節読み」以上の速度で読んでみても、しばらくは理解の困難は感じないはずである。意味が分からない、と感じる人が出てくるのは「モノローグ」の箇所だろうが、ここにはちゃんと注がついている。「独白、独り言」というこの語の意味を知っている人もいるだろうから、ここも速く読める人が多いかもしれない。

 問題は傍線部Aの直前の2文である。

「世界は多義的でその意味と価値はたくさんの解釈に開かれている。」

「世界の意味と価値は一意に定まらない。」

いきなり「世界」という言葉が出てきたり、「その意味と価値」という抽象的な言葉が出てきたり、「たくさんの解釈に開かれている」「一意に定まらない」という、完全な日常語とは少し異なる用語法の文が出てくるため、この箇所で文意がにわかに不透明に感じられるはずだ。

これが、国語の「カーブ」なのである。運転注意箇所だ。すかさずブレーキを踏み、速度を落とさなければならない。

この箇所が急に難しくなるからこそ、直後の傍線部Aが設問になっているわけだ。そして傍線部Aにも「素朴に不変な実在」という、注意したい表現が出てくる。

この箇所を、読むスピードに応じて色分けすると、次のようになる。黒い部分は速読し、赤色部分で立ち止まって、その意味を考えながら前に進む、という読み方になるだろう。

 講義とは何か。大きな四角い部屋の空気のふるえである。または教室の前に立った、そしてたまにうろつく教師のモノローグ(注1)である。またはごくたまには、目前の問題解決のヒントとなる知恵である。講義の語りの部分にだけ注目してみても、以上のような多様な捉え方が可能である。世界は多義的でその意味と価値はたくさんの解釈に開かれている。世界の意味と価値は一意に定まらない。A 講義というような、学生には日常的なものでさえ、素朴に不変な実在とは言いにくい。考えごとをしているものにとっては空気のふるえにすぎず、また誰かにとっては暗記の対象となるだろう。

(同 上)

黒い部分をある程度速く読むからこそ、赤い部分をゆっくり考える時間が作れる。メリハリのない読み方をしている受験生は、おそらく読解の各段階で二重、三重に損をしているのではないかと、わたくしQ氏は思う。

そうなると、次に気になるのは「赤い部分を的確に解釈する方法」だ。

このように、文意を的確にとり難い箇所を解釈するには、それこそ、ある程度まとまった時間、現代文の読解演習をやらなければならない。Q氏も各所で、そういう授業を受験生諸君に提供してきた。

今回は時間の制約もあり、また、もし技術的には公開可能だったとしても、Web上ですべて無料で提供するのは難しいため(Q氏がご飯を食べられなくなってしまい、Q氏が飼っている猫たちも必然的に飢え死にする)、「さわり」だけ述べるにとどめる。

やや難しいと感じる文の大多数には、評論特有の言葉遣いが見られる。要は、使われている単語が難しいのである。

評論特有の見慣れぬ語もあれば、日常語と同じ形をしているのに、意味が異なる語もある。上の引用文では「世界」がそうである(これは哲学用語を踏まえた用法で、われわれがその中で生きている空間・環境・他人や物との関係そのもの、というようなニュアンスである。決して、世界地図に載っている地理的な意味での「世界」ではない)。

また、評論にとどまらずひろく使われる文章語で、文章を読み慣れていない若人は意味を知らないが、教養のある成人はもれなく知っているような語もある。「多義的」「一意(に定まる)」「実在」などがそれに当たるだろうか。こういう言葉は、長く文章を読んでいれば一度は出会うような語なので、知らない読者が無教養の烙印を押されてしまうかもしれない。

また「その意味と価値はたくさんの解釈に開かれている。」などは、何を意味しているのか、ちゃんと考えないと分からない。言い回しの問題である。ここでは「開かれている=オープンである」の意味から「どういう意味をもち、どういう価値をもっているのかについて、自由に、いろいろな解釈をほどこしてもよい」という意味と解釈してよいだろう。

このように、立ち止まって読まなければならないような箇所では、「日本語を、さらに分かりやすい日本語に訳す」作業が必要だ。英文和訳ならぬ、和文和訳である。評論の場合は特に、完全な日常語では書かれていないので、分かりやすい言葉に翻訳しないと、スッと納得できない。

「和文和訳」を的確にやりとげるには、もちろん、語彙が豊富でないといけない。そうなるためには多くの文章を読んだ蓄積が必要なので、普段どれだけ言葉に関心を持ち、読書を含めた言語経験を積んできたか、個人の成育歴が試されるところである。

が、国語の苦手な受験生はそんな悠長なことを言っていられない。だからこそ、せめて、教科書や入試過去問で評論を読んだら、それをただ単に読み飛ばさず、出てきた用語や話題を頭の中で反芻するようにしよう。一度出てきた難しい言葉は、また別の文章に出てくることが多い。評論特有の語はそうやって「数珠つなぎ」にして、英単語のように覚えていくものである。

さて、そろそろいったん、現代文を「速く読む」方法については区切りとしよう。次回は、少し補足をした上で「共通テスト国語・評論文の解き方」について述べたい。