共通テストの国語(8) 速く読む方法⑧:曲がり角では速度を落とす
前回までの「練習」と分析を通じて、「共通テスト国語の出題文を時間内にすべて読めない」という悩みを訴える受験生は、おそらく「メリハリをつけず、すべての文を同じ速度で、棒のようにダラダラと読んでいる」のではないか、という推測に行きついた。
名人と言われる職人さんや大工さんの仕事を見ていると、腕のよい人ほど仕事がリズミカルであることに気づく。手早くこなすべきところはあくまでも速く(かれらは技能習得に既に1万時間を費やしているから、常人より速くやれるのである)、注意を要するところはゆっくり、丁寧に。
むかし、人気レストランの厨房で皿洗いと調理補助のバイトをさせてもらう機会があった。怒号が飛び交うさぞかし怖い「現場」かと思いきや、オーナーシェフはたいへん穏やかで合理的な考え方の人で、そのときじきじきに注意されたのも、
「食材を切るときに、ついついカッコつけようとして速く刻もうとする人が多いが、うちではそうしなくてもよい。ゆっくりでいいから、丁寧に。丁寧に、を一番重視すること」
という内容だった。
さすが人気シェフ、と感心した次第である。すべての道に通ずる心がまえだろう。
同様に、大学受験の世界でも「間に合わないから、問題文を早く読まなきゃ」という受験生の焦りに相違して、実は問題文はゆっくり、丁寧に読むのが「正解」なのである。だから、ちゃんと理解しようと努めながら読んでいる限り、皆さんのやっていることは間違っていない。
が、時間に間に合わないほど読むのが遅い人というのは、概して①時間をかけなくていいところに時間をかけていたり、②そもそも「気が乗って」おらず、上の空で読んでいたりするものではないかと思う。
②の人に、わたくしQ氏からできることはあまりない。すこし悲しそうな顔を作って、がんばってね、と声を掛けるしかない。
そして①の人に言葉を掛けるならば、時間をかけなくていいところ(調理で言えば、野菜を切る動作ではなく、包丁を出したり、まな板を調理台に置いたり、ストッカーから野菜を出したりする動作)に、ものすごく丁寧に時間をかけていないか、と尋ねることになるだろう。そのことを多少意識するだけで、結果は変わってくるだろう、とも。
医学部受験生は、年齢的に、まだ普通自動車の運転免許を持っていない人が大部分かもしれない。が、運転免許を取りに自動車教習所に行けばいずれ分かるが、自動車はいったん走り出せば、スピードを上げてまっすぐ進むことは容易なのである。スピードを上げることは、アクセルさえ踏めれば誰にでもできる。
が、問題は、カーブを曲がる動作なのだ。しかも、いったんスピードを出したあとにカーブを曲がることなのである。スピードがついた状態のままでは、カーブに突入しても曲がりきれず側壁に衝突する。カーブに入る前に速度を落とし、低速で曲がってから、再びスピードを上げてカーブから脱するのである。教習所でいやというほどやらされる。
Q氏が運転を習ったときに、ひとり、他の人と比べてずば抜けて教え方の上手な教官がいた。その教官は助手席で時々、腕を組んだままポツリと格言みたいなことをつぶやくのが特徴だった。宮本武蔵みたいな人だった。
その教官が特に強調していたのが「スピードを出すのは馬鹿でもできる。ゆっくり、低速で車を自由に操れることが、本当のドライバーの力量なのだ」ということだった。「低速調節」というのは意外と難しいものだから、受験生諸君も無事大学医学部に受かって、運転免許でも取りにいく段になったら、この宮本武蔵教官の言葉を思い出してほしい。
国語の文を読む際にも、まこと、この「低速調節」が重要なのだ。スピードを出せるところは速読しておいて、「あれ?」と考えさせられるところに来たら、ゆっくり読んで意味を考えるのである。時には、2回くらい読まないと意味が分からない文というのがあるが、それは難しい文なのだから、2回読んでもいいのである。
以下、例として2018年度、大学入試センター試験(当時)本試験国語、第1問より引用する。太字部分が引用である(段落番号は省略)。
(ちなみに、センター試験時代の国語問題は、読解の訓練という意味では共通テスト対策にも問題なく使えるから、共通テスト受験生は、センター時代の過去問を大いに活用すべし。問題形式の違いもそれほど大きいとは言えないし、違いを云々する前に、まずはどんな形式にも対応できる基礎力をつけないとしようがない)
講義とは何か。大きな四角い部屋の空気のふるえである。または教室の前に立った、そしてたまにうろつく教師のモノローグ(注1)である。またはごくたまには、目前の問題解決のヒントとなる知恵である。講義の語りの部分にだけ注目してみても、以上のような多様な捉え方が可能である。世界は多義的でその意味と価値はたくさんの解釈に開かれている。世界の意味と価値は一意に定まらない。A 講義というような、学生には日常的なものでさえ、素朴に不変な実在とは言いにくい。考えごとをしているものにとっては空気のふるえにすぎず、また誰かにとっては暗記の対象となるだろう。
(有元典文・岡部大介『デザインド・リアリティ──集合的達成の心理学』より)
どうだろう。スッと水のように文意を理解できる受験生は、読解力の高い人だと思われる。中には「うわー…また例によって、現代文の評論特有のイヤさがみちみちた文章だなあ…」などと思う人もいるかもしれない。
さて、ここでそろそろ紙数が尽きるので、次回はこのように実際の文章を素材に、緩急をつけながら読む方法を練習してみよう。