共通テストの国語(26) 小説の注意点④──象徴に注目する
2021年度(令和3年度)共通テスト国語 第2日程 第2問 津村記久子「サキの忘れ物」の検討、続きである。急ぎ足だが、きりがないため、今日で小説は終わりにしておきましょう。
小説は物語の背景や登場人物の性格・心情に着目して読んでいき、物語中の人々が織りなす関係の微妙さや、交錯する心理の綾を味わうことが楽しみの大部分を占めるジャンルなのだが、「心情を読む」は皆さんが日常の人間関係においても自然にやっていることで(やらない人もいるが…)、小説に限らず物語全般が「人間心理のシミュレーター」というような役割を担っている、ということは以前に述べた。パイロットの訓練に使うフライト・シミュレーターみたいなもんですね。
どこかの国の研究結果によると、小説をよく読んだり、物語を見聞きしたりすることを好む人は、他人の心理状態を察知することに長けているそうだ。案の定ですね。
だからこそ「人間よりも『事物』が好き」な傾向のある(サイエンティスト含む)人は、物語の解読が苦手なのかもしれない。わたくしQ氏は物語が好きなので、そういう人の気持ちにはちょっと判りかねるところがあるが…ま、いいよね。世の中いろんな人がいるんだから。
しかし、日常のシミュレーションである物語も、細部まですべて日常と同じではない。物語には起承転結があるが、日常の出来事に起承転結はない…などということもあるが、それよりももっと顕著に「物語だけに見られる特徴」というのがいくつかある。
そのひとつが「象徴」の使用である。象徴とは、「ある形のないアイデアや、他の事物を、別のある具体的なもので表す表現手法」である。白いハトが平和の象徴だとか、桜の花が日本の象徴だとか。そういうものだよね。
物語には、注意して読んでいると、この「象徴」が頻繁に使われる。そして、日常生活では決してあり得ないことだが、象徴となる具体的な「モノ」が、人物の心情や、作品のテーマまでを間接的に物語ってくれることが多いのである。
アニメでも、主人公が恋人と初めて出会う日の朝、キラキラとした陽光が透過光で表現されたり、別れの場面でよく雪が降ったりするでしょう。まばゆい陽光は「人生にまったく新しい何かが付け加わる期待や新鮮味」、雪は「別れの悲哀」の象徴と言えそうだ。
が、象徴には「すぐに何を表しているのか分からない」ようなものもある。
むしろ、解釈がひとつに決まってしまうような象徴はつまらないのだ。何を意味しているのかハッキリ分からないなりに、複数の解釈をして楽しむことができ、モノとしての独自の存在感を物語の中で発揮してくれるようなアイテム…そのような存在が「いい象徴」だ。
小説家自身も、作中に描く象徴をかなり感覚的に選んでおり、なぜその物体を出したのか論理的に説明できない場合が多いのではないかと想像する。むしろ完全に論理的に説明できない方が、含みのある「よりよい象徴」なのだ。
そして、象徴の解釈は読者の役割なのである。いい小説は、描く作者と解釈する読者との共同作業によって、作品としての命を与えられていくのである。
さて、本作では64行目から、「サキ」の短編集を教えてくれた女の人が持ってきた、大きなみかん「ブンタン」が、なにやら意味ありげに出てくる。このブンタンがこの作品に用いられている「象徴」だろう。
ブンタンは、①大きく丸い、②黄色い(明るい色である)、③「すっとする、良い香り」である(本文傍線部D)という特徴を持っている。
象徴は別の何かを表しているとは言っても、似ても似つかぬ何かを指すわけにはいかない。象徴そのものがもつ特徴が、象徴が暗示している事柄を連想させるようでなければ、象徴表現はうまく機能しない。
ブンタンのもつ上記①~③の特徴は、どこかしら心を温かくさせ、ほっとさせ、「まったり気分」にさせてくれるようなものではないだろうか。また③の「良い香り」は柑橘系のさわやかな匂いだろうから、悪い感覚や気分を表すという解釈は成り立たないだろう。むしろ、非常によい心持ち、明るい気分を植えつけるのではないだろうか。
物語を読むのが得意な人(たとえオタク的ジャンルであっても、漫画やアニメやラノベが好きな人は、だいたいこういう解釈が得意だ)は、もう、高校を中退してから灰色の人生を送っていた千春の将来に、何となく明るい光がさしてきたのだな、と分かるだろう。
「女の人」との淡い交流による心の癒やしや、「サキ」の短編集を読むことで初めて芽生えた知的関心と生きる意欲を、この物言わぬ「ブンタン」が、ダメ押し的、総仕上げ的に「まとめ」て形にしてくれているのである。
近代小説を好んで読む諸君ならば、この「ブンタン」は梶井基次郎の小説「檸檬(れもん)」へのオマージュ(創作家が好きな創作家の作品を間接的に引用し、敬意を表現する行為)ではないか…とも思うだろう。梶井の描いた「檸檬」は鋭い美意識と破壊欲求の象徴だったが、同じような柑橘類として机にそっと置かれる「ブンタン」は、再生の象徴なのだ。
大学入試センターさんは、こういう出題を通じて「受験生諸君、ついでに梶井基次郎の『檸檬』も読んでみてよ。ただしこの象徴のカラクリに気づいた人はね」と言ってくれているのである。受験生諸君、ありがたく拝聴したまえ。大学入試センターさん万歳。
さて、そういう目で本問「問5」を見てみよう。紙数の関係で選択肢はいちいち掲げないが、「ブンタン」の意味を問うている問題だから、小説全体のテーマにかかわる重要な設問である。
…とはいえ、これはけっこう紛らわしく、Q氏に言わせるとあまりよろしくない設問。正解は⑤なのだが、香り高いブンタンを「本を読む楽しさを発見した清新な喜び」の象徴とだけ「限定解釈」(なんか法律みたいですね)するのが果たして正しいのか。Q氏にはかなり疑問である。
むしろ「千春には明日から生きていく希望ができた」というような読みが、より普通なのではないか。選択肢で言うと①~④は、ブンタンの意味については、どれもさほど間違ってはいないように思える(①の「仕事を通して」だけが限定しすぎ)。①~④の選択肢は「ブンタンが表しているもの」以外のところに間違いが隠れているので、探してみてほしい。
⑤の選択肢前半の「ブンタンが千春の姿と女の人の姿とを結びつける」という内容は、一読しただけではなかなか気づかない解釈で、確かにそう解釈でき、なおかつ新鮮な「読み」だからよい(本文と矛盾しない)だろう。が、「必ずそう読まなければいけない」わけではない。結局「本文と矛盾しない」から⑤が正解となるのであって、この問題に正解するには、①~④の選択肢の本文と矛盾する箇所を、チマチマ照合して消していく消去法しかない。
「ブンタン」は物語のテーマを表す大切なアイテムなのに、何となく「センターさんの解釈の押しつけ」を感じる設問になっているのがちょっと不消化だ。この小説のこの部分のテーマを一言で表すならば、上述した「再生」あたりが適切だろう。「本を読む楽しみの発見」はその一環であり、テーマとしてはちょっと小さい。「センターさん」は受験生に「本読めよ! ババンババンバンバン…」と言いたいのかもしれないが、小説のテーマを矮(わい)小化するのは、ちょっと問題のような気がする。
第2問の小説は、毎回、これだから答えにくいのだ。受験生諸君は「共通テストの小説は消去法」と割り切ってしまってもいいのではないか。
さて、小説はやや急ぎ足になってしまったが、共通テスト直前特集のラストは、第3問「古文」と行こう。特に「出されたら身の破滅」という理系受験生が多い「和歌」の解釈のコツを述べたい。