共通テストの国語(29) 古文──和歌の解釈③
う~、共通テスト近づいてきましたねえ。
引き続き第3問古文、和歌の解釈のコツ。2021年度(令和3年度)共通テスト国語 第1日程 第3問『栄花物語』、本文中の和歌である。
1首目は少し手ごたえが薄い、分かりやすい和歌だったから(わたくしQ氏にはあまりいい歌と思われない)、本文の2首目、中納言殿の返歌も同様に解釈してみよう。
起き臥しの契りはたえて尽きせねば枕を浮くる涙なりけり
① 逐語訳する。
寝所を共にする、約束で結ばれた夫婦の縁が絶えてしまい、涙が尽きることがないため、その涙に枕を浮かべるくらいになってしまったことですよ
② 掛詞を反映させる。
寝所を共にする夫婦の約束はまったく絶えることがなかった(いつも約束していた)のに、その約束で結ばれた縁が絶えてしまい、涙が尽きることがまったくないため、その涙に枕を浮かべるくらいになってしまったことですよ
※「たえて~ず(まったく~ない)」と「絶えて」が掛詞。
また、「たえて尽きせねば(まったく尽きることがないので)」が「契り」と「涙」の両方の述語になっているため、「妻の生前は夫婦の約束(縁)が絶えなかったのに、妻がいない今は涙が絶えない」という対比の意味が生じている。
③ 省略情報を補う。
私と妻との間で、寝所を共にする夫婦の約束はまったく絶えることがなかった(いつも約束していた)のに、その約束で結ばれた縁が今は妻の死によって絶えてしまい、残された私は涙が尽きることがまったくないため、その涙に枕を浮かべるくらいになってしまったことですよ
④⑤⑥ これは自明だから省略する。
どうやら全体として、1首目の進内侍の歌に用いられた「枕が浮いてしまうほどの涙」の誇張表現を受けて、「今は涙が尽きませんが、昔は夫婦の縁(えにし)が尽きないと思っていたのです(そんな昔はもう帰ってきません)」という、現在と過去との対比の構図を導入した歌のようだ。
古文を教えているわたくしQ氏をはじめとする国語講師にも、初見の和歌は解釈に苦しむ場合がよくある。完璧主義をやめて「大意をつかんでよしとする」態度で、ああでもない、こうでもないと眺めてみると、いい解釈が浮かんでくるものだ。
どうだろう。こんな調子で「サクサク」解釈していけると、共通テスト古文も怖くなくなってくる。
いま、いきなり「こういう手順でやれ」と言われても難しいという人もいるかもしれないが、大体は「何となく」分かればいいのだ。それこそ、フィーリングが大切である。
国語が苦手と自称する医学部志望者を見ていると、いちいち論理的に解釈しようとしすぎて、この「大づかみに意味を把握する、いい意味でのフィーリング」の働きが抑制されすぎている人が多いような気がする。「文学的センス」の正体も、それであるような気がする。感性の訓練も、論理の訓練と同様、大切ですよ。
さあ、では設問になっている、本文中の次の2首も行ってしまうぞ。
3首目、東宮の若宮の御乳母の小弁の弔問の歌。
X 悲しさをかつは思ひも慰めよ誰もつひにはとまるべき世か
① 逐語訳
「かつは=一方では、かたや」はたまに出てくる。「思ひも慰めよ」は命令形。末尾の「か」は反語と解釈すると自然だろう。
X 一方で、悲しさを思い慰めてくださいよ。結局は、誰もこの世にいつまでもとどまっているわけにいきましょうか。いやいきますまい。
② 掛詞など
無さそうである。割に素直な歌である。
③ 主語その他の情報の補てん
X (あなた=中納言殿が深い悲しみに沈んでおられるのはごもっともですが)一方でこんな風に考えて、悲しさを思い慰めてくださいよ(とわたくし=小弁はあえて申し上げます)。結局は、誰も、この世にいつまでもとどまっているわけにはいかないのだと。
これに対し、4首目の少納言殿の返歌は、
Y 慰むる方しなければ世の中の常なきことも知られざりけり
① 逐語訳
「慰むる方しなければ」の「方」は「方法、手段」。「し」は強意の副助詞。「なければ」は確定条件で、理由。「常なきこと」はいわゆる無常の理のことだろう。「知られざりけり」の「れ」は自発、「けり」は詠嘆が適切だろう。
Y 心を慰める方法もありませんので、世の中に永遠ということはないということもおのずとは分からなくなっているんですよねえ。
② 掛詞など
これも無さそうである。3首めの小弁は、進内侍と比べると無駄な技巧を弄さず、素直に忠告のメッセージを伝えてくれている。中納言殿は進内侍の技巧的な歌には技巧をもって返し、ストレートな小弁の歌にはストレートな言葉遣いで返答している。こういうやり取りの機微も、和歌の贈答にはつきものだったようで、「TPOに合った歌を詠む」ことが歌の上手の本領だったようだ。
③ 主語その他の情報の補てん
Y (あなた=小弁のお言葉はありがたいのですが、わたくし=中納言には、妻を失った悲しみの)心を慰める方法もありませんので、(そんな悲嘆にくれたわたくしは)世の中に永遠ということはないという(当たり前の)ことも、おのずとは分からなくなっているんですよねえ(ですから、当分この悲しみは癒えそうにもありません)。
ここまで訳せば、もうだいたい分かるだろう。本年度はそこまで難しいやり取りではなく、大学入試センターさんも、本文だけで4首も出題した際の受験生の負担は、ちゃんと計算しているようだ。
さて、ではこの和歌X, Yを踏まえた設問、問5を検討してみよう。
問5には、問題文中にもう1首の和歌が登場している。複数の出典によって、Yの和歌に対する中納言殿の返歌が違う、という「ノート」的内容である。『栄花物語』とは別に、もうひとつYの和歌が収録された『千載和歌集』では、中納言殿の返歌は次のようになっているという。
Z 誰もみなとまるべきにはあらねども後(おく)るるほどはなほぞ悲しき
これもさほど分かりにくい和歌ではないので、解釈のプロセスは省略して、以下に訳してみる。赤字は意味を補った部分である。
Z 生きている人は誰も、この世に永遠にとどまるわけではありませんが、その理屈が分かっていたとしても、今の私のように愛しい人に先立たれてしまったときは、やはり悲しいものなのですよ。
さあ、では次回、問5の選択肢を検討して、和歌の解釈のコツを終わりにしよう。