共通テストの国語(20) 選択肢の絞り方④──2択からの絞り方 (3)
(2022/12/29執筆)2021年度(令和3年度)共通テスト第1日程・国語 第1問 香川雅信『江戸の妖怪革命』の「問4」、続きである。
ザコ選択肢①③④を「あたたたたたたたたた!」と葬り去った(←古い。でも、このネタはわかる人多いよね?…お前はもうタヒんでいる。)受験生は、パン、パンとおもむろに手を払って、次の②⑤を検討しよう。
さて、選択肢②には一見、アラがない。そうなるとすぐに飛びつきたくなるのだが、やめた方がよい、というのがわたくしQ氏からの忠告だ。どんなワナが隠されているかも分からないぞ。
じっさい、ほぼ消去法で選ばなければならないほど、正解の選択肢を単独で見つけ出しにくい場合は、しばしばある。正解と思われても、すぐにそれを選ばないことだ。トラバサミみたいなものが仕掛けられているかもしれない。
ザコを消し、2択に絞れた段階で、ダミー(2択で不正解となる選択肢)となりそうな選択肢を注意深く検討するのである。共通テストの国語で最も慎重になる必要があるのは、2択に絞って以降、ダミー選択肢の間違いを探す段階である。そこに一番神経を使うのだ。
今回の⑤は、
「⑤ 妖怪が、神霊からの警告を伝える記号から人間がコントロールする人工的な記号になり、人間の性質を戯画的に形象した娯楽の題材になったということ。」
やはり赤字が間違いだ。ダメ率は15.9%である。わずか3文節の間違い。3文節は、共通テストや旧センター試験では、けっこう多い方と言えますけどね。
純粋に文字数(印刷部分の面積)で考えて、本文と一致している部分の方が多いことに気づくだろう。共通テストの間違い探しというのは、こういう感じなのである。
出題者心理として、ごくわずかな間違いを選択肢の文に紛れ込ませるならば、受験生が注目しやすい冒頭部分ではなく、真ん中より下の部分に挿入するはずだ。それくらいのことは事前に言えるが、実際にどこに間違い部分が紛れているのかは、1文節ずつ本文と照合しないと分からない。
上の選択肢⑤は、まず「戯画的に」という本文にない表現に注意が必要だ。「戯画」はカタカナ語「カリカチュア」と同義語で、実物の特徴を面白おかしく誇張・歪曲(デフォルメ)して、風刺的に(皮肉っぽくチクリと批判するようなやり方で)描いた絵のことである。歴史の教科書に出ている、明治時代のひとコマ政治漫画みたいなものを連想すればよい。覚える必要がある文章語だ。
「戯画的に形象した(面白おかしく誇張して形にした)」の意味が分からないと、受験生は本文中の「(妖怪を)フィクションとして楽しもう」(4段落)、「妖怪娯楽」(5段落)、「キャラクター」(14段落)などの表現からの連想で、「妖怪=人間の性質を面白おかしく形にしたもの」という、本文では決して述べられていない「幻の内容」を頭の中で作り上げてしまうのではないだろうか。
フィクションとしての妖怪を楽しむ「娯楽」が、「人間の性質を戯画的に形象」することだとは、本文ではまったく、これっぽっちも言っていない。
が、本文を離れてみれば、故・水木しげる氏の漫画などに出てくる妖怪は、人間の欲望や、よこしまな心を形にしたものとも見えるわけで、「一般論としてはあり得る」話と思えてしまう。
だが、いくら一般論としてはあり得る話でも、本文に書いていない内容を、頭の中で勝手にねつ造してはいけない。国語の択一式で、受験生を誘い込む罠のひとつとしてよく使われるのは、この「一般論としては納得できるし、ありうる話だが、本文の論旨とはまったく関係がない」選択肢である。
選択肢に書かれた内容を、本文を離れて「世の中にはありうる話だ」という形で納得してはいけない。あくまでも出題文の作者の考えを客観的にたどることができ、額面通りに理解できたかどうかが問われるのだから、本文の内容が正確に分かってもいないのに、「自分はこう思った」はダメなのである。ひとの話をまったく聞かずに自分勝手な解釈をする人、いるでしょう。
本文を正確に理解してから、それに対する考えを述べよ、という出題形式は、日本の大学受験では小論文に分類されている。
面白いことに、この選択肢⑤では、間違っている部分を取り除いてみると、完全に正解の選択肢ができる。すなわち、
「⑤ 妖怪が、神霊からの警告を伝える記号から人間がコントロールする人工的な記号になり、人間の娯楽の題材になったということ。」
ほら、これは本文とすみずみまで一致しているでしょう?
こういう選択肢は、細部まで読まない受験生を「全体の雰囲気から見て、何となく正しいんじゃないかな…」という思い込みに誘うのである。そう思わされたら最後、この⑤番に誘われる人がそれなりの数、出るだろう。飛んで火に入る何とやら、である。
さて、選択肢の絞り込み方についての典型的な例は、このような問題の場合である。選択肢と本文とを細かく照合しながら、計算しなくてもよいから「ダメ率」を調べていくと、もし最初から積極的に「これだ!」と言える選択肢が見つからなくとも、最終的に「最もアラがない」選択肢が見つかる。他の選択肢すべてに誤りの箇所が見つかっていれば、残ったひとつの選択肢に正解とする決め手を見つけられなくとも、その残った選択肢を選んでしまってよい。
このように、すべて消去法と言えば消去法である。正解となる選択肢が分かりやすく、筋が通っていることが一発で確信できる場合もあるが、それはサービス問題である。正解に確信が持てる場合も、補助的に他の選択肢すべての誤りを指摘できるようにはしておこう。
5択のうち3つはどうせ「ザコ」で、すぐ誤りが見つかる。慎重に行くのは最後の2択。すべてのエネルギーを2択からの絞り込みに注ぐのが、国語の択一問題の基本である。
まあ、こんなことに神経を使うだけ無駄ではないか…という疑念は頭を去らないのだが、国語の択一式を続ける限り、解法は結局はこうなる。Q氏と同じく択一式に不満な受験生諸君も、我慢してやるしかないと思う。健闘を祈る。
次回は選択肢の選び方の「まとめ」をしよう。2022年もあとわずか。