共通テストの国語(25) 小説の注意点③──書いてない心情はダメ
共通テスト直前につき、ふだん更新作業をしない日曜日も更新します。引き続き小説のオハナシ。
小説の読解というのは、もう、ほとんど「登場人物の心情」がうまく読み取れるかどうかにかかっている。次が「テーマ」の読み取りである。
いずれも複数の解釈ができるだけに、択一式にそもそもなじまないと言えば、なじまないのである。
だが、文学鑑賞というジャンルを、最後に近い砦として守ってくれている大学入試センターさん(ついに「さん」が付いた)に文句は言うまい。
その「センターさん」は、共通テスト(+旧センター試験)のために、小説の解釈については、暗黙の「センターさん基準」みたいなものを作っているように思える。それくらい、旧センター試験・共通テストの「小説」の選択肢には、このテストを離れて成立するのかどうか疑問に思えるくらい、独特のお約束事があるのだ。
今回は2021年度(令和3年度)共通テスト国語 第2日程 第2問 津村記久子「サキの忘れ物」を題材にする。例によって、問題は各自ご用意ください。
非常によい現代小説で、こういう繊細な心の綾をつづった小説に、試験中であることを忘れてうっとり読みふけるのは、わたくしQ氏が受験生だった頃にも覚えがある、ブンガク嫌いではない系学生の至上のよろこびである。
でも、あんまりゆっくり読んでいると制限時間に間に合わないからね。悩ましいところ。
本文は高校を中退して喫茶店でアルバイトをする「千春」の心に残された傷を少しずつ明らかにしながら、彼女と喫茶店の客である「女の人」との、その女の人が店に忘れていった作家「サキ」の短編集を介した淡い交流を通じ、千春の中にしだいに起こっていく変化を描いている。
さっそく問2である。小説の選択肢の検討も、基本的には評論と同じだから、ダメ部分を赤で示そう。ダメ率の( )と下線はQ氏による。
問2 傍線部A「何も言い返せないでいる」とあるが、このときの千春の状況や心情の説明として最も適当なものを(中略)一つ選べ。(中略)
①周囲の誰からも自分が幸せだとは思われていないと感じていただけに、女の人から幸せだと指摘されたことで、あまり目を覚ましてくれない友達の見舞いを続ける彼女の境遇を察し、言葉を失ってしまった。(ダメ率34.4%)
②人から自分が幸せに見えることがあるとは思っていなかっただけに、女の人が自然な様子で千春の境遇を幸せだと言ったことに意表をつかれて、その後の会話を続ける言葉が思い浮かばなかった。(ダメ率0%──正解)
③女の人の笑顔をもう少し見ていたくて会話を続けているのに、幸せだったことは記憶の及ぶ限り一度もなかったために話題が思い浮かばず、何か話さなくてはいけないと焦ってしまった。(ダメ率25%──ダミー)
④仕事や見舞いのために長時間電車に乗らなくてはならない女の人と比べると、高校をやめたのも電車に乗らなくてよいという点からは幸せに見えるのだと気づかされ、その皮肉に言葉が出なくなった。(ダメ率16.7%)
⑤これまでお客さんと会話をすることがほとんどなかったために、その場にふさわしい話し方がわからず、千春が幸せな境遇かどうかという話題をうまくやりすごす返答の仕方が見つからなかった。(ダメ率29.5%)
…評論と比べて、なんとなく選択肢の歯切れが悪いでしょう。
まず小説の場合、選択肢1つの文が評論より長いことが多い。だから、最初に読む時に焦ってしまいやすい。また、ダミー選択肢が純粋なダメ率で決まらない傾向もある。常に3択くらいに感じられてしまう受験生もいるのではないだろうか。
なぜ、小説の選択肢の歯切れが悪いかといえば、だいたいのところ、
〇「そう読んでも間違いではないのではないかと思われる心情」でも「本文に書いていなければ間違い」と切り捨てるべし
という、暗黙の「大学入試センターさんルール」があるからだと思われる。
上記選択肢で言えば、①は赤字部分の着眼点が明らかに違うからダメ。④は「皮肉」が「女の人」の会話の内容とまったく異なるからダメ。
が、はっきり違うのはこの2つの選択肢だけ。
⑤はダメ選択肢だと思うが、「千春が幸せな境遇かどうかという話題をうまくやりすごす返答の仕方が見つからない」は、必ずしも千春の心情の説明として、外れているとは言えないような気がする。
また⑤の選択肢の冒頭「これまでお客さんと会話をすることがほとんどなかったために」も、傍線部Aとはやや離れた部分にあるが、千春が傍線部Aの場面までこの事情を引きずっていないとは言い切れないから、間違いとは断定しがたい。続く「その場にふさわしい話し方がわからず」は本文に明瞭に書いていないが、過敏な千春の心情にそぐわないとは言い切れないため、やはりダメと切り捨てられない。ダメだとしたら赤字部分のみのように思える。
そして、おそらくダミー選択肢は③なのだが、この「何か話さくてはいけないと焦る」も、千春の心情として完全に不自然だとは言いがたい。
最も「自然」なのが②だから、②を選ぶしかないのだが、②の心情が千春の心の80%を占めるとしても、⑤も③も残り10%ずつぐらい、交じっていてもおかしくない気はするのである。現に、⑤③の心情説明と積極的に矛盾する描写は、文中にはないようだ(Q氏はザッと読んでいるため、皆さん発見したら教えてね❤)。
「ダミー」と思われる③は、上記赤字部分以外は本文と矛盾しないが、上記下線部の心情はそれぞれ本文中の離れた箇所にある部分のツギハギで、「会話をつづけている『のに』」というつながり具合も不自然である。その不自然さも③を不正解とする理由になるとは思うが、ツギハギされた各部は本文に書いてあるのだから、あまりにもセコいと言えばセコい。不正解を選ぶ基準が見えにくいのである。
「本文中に根拠がある」ことに加えて「自然さ」も加味して②、ということか。
小説の択一式はこういうところがやっかいなのである。まず不正解を選ぶための「センターさん基準」を読み取らなければならない。センターさんは択一式の限界の中でがんばっているとはいえ、結局、正答の選び方が「解釈の押しつけ」に感じられるのは、ここである。
そして、その「センターさん基準」のひとつは、「本文を離れた類似の状況ではありうる心情だとしても、本文に『書いてない心情』はNG」という、何だか独自のルールなのだ。
が、評論においては「作者の言いたいことを外れた解釈はダメ」だが、小説は「可能な限り解釈を広げてよい」ものだから、センターさん基準を貫徹するのは解釈の幅を狭める危険性がある。
この作問傾向には反発の声も大きいようだ。旧センター試験時代から、小説の出題には、作者自身が解いてみたが全部不正解だった…などという話がよくある。反発の中身はおそらく、「人情の自然からするとありうる心情も、本文に書いてなければダメ」という、やや偏狭なセンターさん基準に対する不満だろう。
が、受験生としては反抗のしようがない。センターさん基準の存在に気づいて、まず「小説でも評論と同じく、本文から直接・間接の証拠を得られない選択肢の記述は、いくら『あり得る』と感じられてもダメ」という点に注意してほしい。そして、「文のつながり具合がなるべく自然な選択肢を選ぶ」というのもポイントである。
だが「自然さって、何を基準に判断すればいいの?」と、どこまでもデジタル思考の受験生に問われると、かなり説明しにくい。そこが「ブンガク的センス」でもあるのかもしれない。
今回はやや長くなったが、小説の解説回数を減らすためである。あと1回、小説の注意をやりましょう。