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共通テストの国語(15) そもそも国語の択一式って…①

2023年10月7日 勉強方法

共通テスト国語の模試で、なかなか得点が伸びずに悩んでいる受験生が「本文が読めていないのではなく、選択肢の絞り込みに失敗している」ことはかなり多い。

だからこそ、共通テストだけでなく、大学入試全体で多く用いられる出題形式である「択一式」問題に特有の解法を、受験生はある程度意識して臨んだ方がよいのである。

問題形式を意識せず、行き当たりばったりで解くと、必ず間違った選択肢に誘導されるような「仕掛け」が、特に国語(さらに言えば現代文)の問題には散りばめられているのですよ。それに気づいていない受験生が想像以上に多いので、わたくしQ氏も警告しておきたいのである。

…と言っておきながら、以下前置きで、ちょっと択一式に対する考えを述べておきたい。

Q氏は、国語の問題に「択一式」はそもそもダメダメだと考えているひとりだ。もうかなり前から、「アンチ択一党」にひそかに入党し、地下活動をしている。当局に追われており、あちこちで尾行の気配を感じるし、すでに自宅も監視下に入っている(笑)。髪の色を変え、重労働に耐え、Q氏は逃げる。現在を、今夜を、そして明日を生きるために…(←このネタ、わかるかな)。

知識を問う際に、物理的な解答しやすさや採点の効率・公平性を考えると、択一式という形式が優れていることは、Q氏だってもちろん認める。

が、思考力と表現力を試したいのなら、どうしても記述・論述問題を課さないわけにはいかない。制限時間を半日くらいにして、選択したテーマに関する論文1本でも書かせた方がよいのである。ナポレオン1世が創設したというフランスのバカロレアでは、数十万人の受験者に対して「哲学」の論文試験が課される…というのは有名だ。採点をどうやっているのかに興味がある。

が、日本では、何より2段階選抜の1次試験で、そこまで「濃ゆい」記述式をやる必要はないだろう…ということで、数学や国語の記述式導入も見送られ、共通テストに択一式が残ったわけである。「どうやって採点するんだ」と国民が大反対したのも記憶に新しい。

でも、理系には一部の大学を除き、2次試験に国語はない。文系には数学がない。1次試験でしっかり数学と国語の力を試しておきたいのなら、ほんとうは1次試験も記述式にした方がよいに決まっている。全国で実施されている高校入試や中学入試のような問題形式にするだけでいいわけだから、実施できそうな気もするのだが、受験者数から考えて非現実的だ…となる。

数・国以外の教科の択一式は「Q氏的にはぜんぜんオッケー」。理科社会などはまず知識の確認が目的となるし、思考・計算プロセスを問う問題でも、解答を択一式にすることは、無理なくできそうだからだ。英語は外国語だから、その解釈を日本語で質問できるし、外国語の適切な理解を確かめるのが第1の目的であって、外国語での深い思考を要求するわけではないから、英問英答の択一式問題も無理なく作れる。

だが、数学は思考プロセスそのものを見る必要があり、部分点を与えられるところでは、与えられる形式にした方が公平だ。思考プロセスが正しくて、軽微なミスで解答の数値が違っている場合、採点も軽微な減点で済ませるのが「人の道」だろう。計算結果を重視しすぎると、「注意力を試す」目的に役立つというより、「軽微なミスに目くじらを立てる」という、社会的に必ずしも好ましくはないメンタリティを補強する結果になる。アメリカに勝てないぞ。

が、国語の問題の場合、そもそも「言語で言語の理解度を試す」という自己矛盾から逃れられない。だから、ありうる解答をあらかじめ想定して選択肢の文に落とし込むと、その文自体に題意とは異なる解釈が可能になってしまったり、また、そもそも本文に出題者の解釈を逸脱する解釈が可能であることが、はからずも露呈してしまったりする。大学入試センターはそのような「ゆらぎ」をなるべくコントロールしようと努力しているが、うまく行っていない場面がときどき見られる。「言葉で言葉の理解を試す」ことには、原理的な矛盾が含まれているのだ(評論用語では「自己言及性」と言ったりする)。

数学の記述式問題は日常言語で作られるので、問題文が「誤読」される可能性は低い。数学で記述式が必要な理由と、国語で記述式が必要な理由は違うのだ。選択肢の文にも本文にも「ありうる誤読」「思いもよらなかった読み方」が生じうる国語では、オール択一式はそもそも無理なのである。その「誤読」や「思いもよらない読み方」が国語の醍醐味でもあるのだから、国語の力を本当に試すには「選ばせる」のではなく「書かせる」しかない。あくまでも本来は。

主権者たるわが同胞の日本国民は、センター試験時代には「エンピツを転がしても答えられるような試験で学力を測るな!」と文句を言い、共通テスト導入時にいざ記述式に変えようという話になったら「採点者をどう確保するんだ。予算は!」と大反対した。が、センター試験はエンピツを転がして答えられるほどヤワなテストではなかったし(大学入試センターの関係者の皆さん、皆さんのご努力は在野の教育関係者もちゃんと分かっています、と言いたい)、数・国の記述式は1次試験でも必要なのである。こういう国民の無定見が、この国をおかしな方向に導いていくのだ…とQ氏は内心かなり怒りを感じており、こういう文脈ではわが同胞に、なかば愛想が尽きている。反日と呼ばれようと半日と呼ばれようと、国民によるこれ以上の「入試改革つぶし」には反対だ。コ・ノ・ウ・ラ・ミ・ハ・ラ・サ・デ・オ・ク・ベ・キ・カ…(←このネタも、わかるかな)。

が、Q氏も自分の暮らす国を簡単に脱出はできないし、自分の暮らす国を支えていく将来の国民の育成にも、今までの行きがかり上、多少の関心は持たざるを得ない。本来ならば、数学と国語ではなるべく択一式の比重を減らし、記述式が採点体制の整備の難しさから実現していないのなら、まず採点体制を作ってほしい…というのがQ氏の願いだ。委託してくれればQ氏もアルバイトで、やるぞ。がんばる。何万通でも来いや。

Q氏がオール択一式をディスり始めるときりがないので、次回につづく。もう、酔っ払いオヤジみたいですね。受験生の皆さん、お付き合いさせて、スミマセン。